先日の私の所属している東京八王子西ロータリーで法政大学の馬場憲一教授のお話を聞いた。
私達のロータリーは、毎週金曜日の午後0時30分から1時30分まで京王プラザホテル八王子で毎回例会を行っている。
その例会は、前半が食事と会長のご挨拶や幹事報告、委員会報告などが行われ、後半は所属の会員のお話や外部から講師を招いてその都度30分を最大に講演会的にお話をいただいている。
そのことを我々のロータリーでは、卓話と呼んでいる。
卓話は、その都度テーマがあるが、この卓話の良い処は、自分が興味がないものでも人のお話を聞けることで、もちろん興味がある時はより興味深くお話を聞けるが、自分に興味が無い話でも大変印象に残ることや勉強になることが多いのだ。
先日の馬場憲一教授のお話は、
『大久保長安と八王子のまちづくり』
と云う卓話だった。
今回のお話で私は本当に今まで知らなかった八王子のまちの出来た経緯を知ったのだ!
『えっ?そうだったの!』
って感じ。
この数年でやたら八王子のまちで『大久保長安』のお話が話題になって何となく八王子のまちに大久保長安が関わっていると云う事は、予想できていたが、今のまちなみの基盤になる新町から追分の交差点までの甲州街道の道を大久保長安が整備した事など知らなかったのだ。
南浅川の氾濫を防ぐために石垣をつくったりしたことやその南浅川を北浅川に直角にぶつけると云う事をした事など全く知らなかった。
千人隊を隣町に置いたり、町の北部側南部側に寺院を置いて軍事的な警備のことも考えていたまちづくりだったこと。
そして、上記の全てが未だに八王子の街の基礎となっていることなど本当に知らなかったのだ。
大久保長安が徳川家康の配下の人間で、佐渡の金山などで活躍をして金庫番であったことや最後は不正の蓄えがあった事が露見をして罰せられた事は知っていたが、この八王子のまちづくりにこれだけの影響をした人だとは、知らなかったのだ。
私達の世代や親の世代にもこのお話が言い伝わらなかったのは、大久保長安の生涯が良い終わり方でなかったことで、八王子の先人がこの話を語らなくなった経過があるらしい。
大久保長安の八王子に対する功績を知った方々が後生に伝えていかなければと大久保長安のお話を伝える運動を数年前から始めて下さったのだ。
ロータリーでは、このように自分が興味なかったことも学ぶ機会がある事に感謝しているのだ。
今、我が東京八王子西ロータリーは、5月に設立50周年を迎える。
会員は、現在99名だ。
出来れば50周年を100名の会員で迎えたいものだ!
どなたか加入されませんか?
良い仲間との出会いがあり、勉強の機会にもなりますよ!