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大喪の礼 の時のお話

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天皇の在位30年の報道がなされているが、30年前の大喪の礼の時のお話を前にこのブログで書いた。

紹介させていただきます。
2008年4月11日~


今の会社を作って6ヶ月程たった昭和64年の1月に昭和天皇が御崩御なされた。

その数日後、当時の都議会議員の秘書から相談を受けた。

内容は

『八王子警察の幹部に会ってくれないか?』

というものであった。

私は了解をし八王子警察に出向いた。

私を待っていたのは副署長であった。

『私に何をしろというのですか?』

という質問に対しての答えは下記のような内容だった。

『昭和天皇が御崩御され約1ヶ月後に大喪の礼が行われることになっているが、八王子には御陵があり、当日は、世界中の国家の王室や元首が御陵にいらっしゃるために、世界中のマスコミが、昭和天皇及び御陵の取材ために、八王子にホテルをとってあり、あと何日かで大挙して来ることになっている。

当日まで宿泊の予定なのだか゛そんな時に暴走族が何百台、例え数十台であっても走ってしまったら世界中に八王子の恥、いや日本の恥を知らしめてしまう。
だから、なんとか力を貸してくれないか。』

というものだった。

八王子警察のNo.2がつい何年か前までは警察にとって目の敵であった私に対して頭を下げる姿を見て心が動かされた。

私はそこで少し考えてからこう答えた。

『この話は、聞かなかったことにしてください。だけれども私は私の考えで勝手に動きますから。』

私は、その時こう考えていた。

『確かに副署長がいっていることは解るし、昭和天皇の喪に服す気持ちも強くある。

だけれども、警察の要請で走らせる事やめさせたら、八王子中の後輩達からこの間まで先頭切って警察と戦っていたのにもう警察の犬になったかのように思われるのも癪であったのもあったし、何よりも警察からの要請によって動いた私の頼みに対して、八王子中の後輩達が走る事やめてくれたとして大喪の礼以降に約束を守ったのだから、一度警察公認の集会を開くことを頼んでください!とか言われたり、警察に捕まりそうな奴を見逃してくれだとか言われても副署長だって立場上了解出来る訳ない。

だから警察に頼まれた事は、なかったことにしたほうが皆の立場が守る事が出来る。』

平成元年2月24日八王子では肌寒い中小雨が降っていた。

街中は異様な風景をかもし出していた。

当日は国民的に休日となり私の会社も休みにしたが(正確にはまだ会社をはじめたばかりで仕事がなかった)街には一般の人の姿はまばらで角という角に機動隊が数名ずつたち装甲車もいたるところにおいてあった。

ナンバーは北海道のナンバーのように普段この地域では見たことのないナンバーの警察・機動隊の車両が各道路いたるところに置かれていた。

私は昭和天皇が乗られた車両を直接道路でお見送りをするのをあきらめ友人の家でテレビで見ることにした。

友人の家は甲州街道沿いでそこは実際に車列が御通りになるコースからかなり離れていたが全ての道路沿いにも警察官が立ち並んでいた。

友人の家につきテレビをつけるとどのチャンネルを廻しても同じ映像が流されていた。

何か当時の大晦日の深夜みたいに不思議な感じであった。

大喪の礼が新宿御苑で終わりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%96%AA%E3%81%AE%E7%A4%BC八王子の武蔵稜にむけて車列が出発した。

その頃中央高速の調布深大寺あたりで爆発物による土砂くずれが起きていた。
http://www.youtube.com/watch?v=7NHo1EsJ15A&feature=related

車列が通る反対側であったこと、また車列が通るまでにはきれいに土砂は片付けられていたため車列には混乱は起きなかったが、それを見たときには、大変複雑な思いを感じたことをよく覚えている。

微力ながらこの日まで式典が無事を終えることを願うひとりであったからだ。

車列が高速道路を降りてから八王子市内、武蔵稜での納棺、帰りの車列での問題は全くなく、この日は無事終了をした。

世界中のマスコミもその日を境に八王子から姿を消した。

もちろん暴走族の存在を知られることなく。

約1ヶ月間八王子の暴走族は、約束を守り暴走行為は、もちろん騒音を立てた走りもなく静かに大喪の礼を迎えた。

多分当時は、暴走族は下火になっていたが、八王子だけでも1000人を超えるメンバーが、まだいたのではないかと思うが、よく約束を守ってくれた。

1ヶ月前、八王子警察署を出た後、すぐにNAC
http://blogs.yahoo.co.jp/eightshikun/6186234.html
の役員に連絡をとり集まってもらった。

私は

『八王子警察は関係なく俺たちとして昭和天皇の喪に服する為に八王子の後輩たちに暴走行為をやめさせよう。それにはこういう言葉で協力を仰ごう。

「ある右翼の大物から俺たちに連絡があって、昭和天皇の喪に服する為、天皇がお眠りになる予定の武蔵陵がある八王子として大喪の礼の日まで暴走族に活動をせず静かにして欲しい、との依頼をうけそれを約束をした。

しいては、約束を守らなかった場合は俺たちがお前たちをしめなければならない。

バイクで走る場合は2台以上では絶対に走らない。

もしどうしても走るときは一列に並んで走ること。

車も蛇行運転など絶対にしてはいけない。

もし見つけた場合はその場でしめる。」』


皆これならば、右翼の人達も喜ぶだろうなどと冗談をいいながら了解をしてくれた。

NACの役員は、当時ちょうど暴走族をやめて1~3年位のOBになったばかりだから充分影響力もあった。

各暴走族の現役のリーダーに連絡を取りそれを伝えた。

また、八王子は各中学OB単位でグループがあり、それぞれが数十台で暴走することも日常的であったため、手分けをして各中学OBに連絡をとり徹底させた。

結果冒頭のように八王子は1ヶ月間静かな日々だった。大喪の礼が終わってしばらくたった頃、例の都議会議員の秘書から連絡があり、副署長が会いたいと言っているということで八王子警察に出向いた。

すると副署長が満面の笑顔で出迎えてくれた。

ひととおりのお礼の言葉の後、感謝状を渡すからとの言葉があった。

イメージ 1


 警察とは無関係との前回の話等忘れたかのようだった。

どうしようかと一瞬考えたがせっかくだからもらう事にした。

何か後で聞いたら感謝状出すのも結構大変らしい。

何も期待していない中での事だったが副署長なりの男としての義理のはたしかただったのだとその時感じた。


副署長とはそれっきりになっていたが10数年たった頃、ある事で再会をする事になる。



つづく

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