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冬季オリンピックで…

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平昌オリンピックは、フィギアスケート男子の羽生結弦選手の金メダル、宇野昌磨選手の銀メダル、そして昨日のスピードスケート女子500の小平奈緒選手の金メダルで日本中大いに盛り上がりをみせているが、このシーンを見て涙が出た人も多いと思う。

まあ、私もその一人だが(笑)

今、カーリング女子予選リーグと男子スキージャンプ団体が行われている。

このスキージャンプ団体を見て20年前の長野オリンピックの男子スキージャンプ団体で金メダルを取ったあの日の事を思い出した。

当時、私の経営する株式会社エイトは、社名を株式会社エイト商事としていた。

当時私は、経営者として勉強不足で会社設立10年目であったが、本当に厳しい経営状態だった。

仲間と数か月前から予定をして、猪苗代湖の傍のスキー場併設のホテルに4家族プラス友人数名と云う感じで遊びに行った。

旅行を決めた時もすでに経営状態が悪かったが、実際にこの旅行に行った時は、今でも思い出すと当時の感情を思い出せる位つらい状態だった。

経営状態が思わしくなく、旅行に行く前に銀行にお金を借りる相談をしに行ったが、断られる状態だった。

試算表上も今と違って数か月前のものしかなく、しかも赤字で対策すら打てていない状態だった。

当然に旅行に行っても、元気が出るわけでもなく、ため息を繰り返していた。

行きの車の運転もボ~ッとしていた。

頭の中は、会社の事ばかりだった。

悩んでも特効薬はある訳では、なかった。

長男 広賢が8歳、長女 茜佳梨が5歳、次男 瑛人が2歳と9か月、次女葵樹が1歳に満たない、3男 風雅は、まだ生まれていない頃だ。

たまに出かけたスキーで子供たちと遊ぶのは、親としての義務とは思うが本当に元気が出なかった。

ソリで遊んだりもしたが、笑顔もなかなかつくれなかった。

本当に心が苦しかった。

そんな苦しい2泊3日の時間を過ごし、帰り支度をして車のエンジンを掛けるとラジオから、スキージャンプの舟木選手がジャンプをするところだった。

実況のアナウンサーの興奮した声。

金メダルを決めた瞬間だった。

その時に、私は

『よし!俺もクヨクヨ悩んでいたって何も変わりはしない!やるしかない!』

と考えを変える事が出来た。

本当に、日本男子団体のスキージャンプの金メダルに勇気をもらった。

家に帰ってからも、舟木選手のジャンプの金メダルのシーンで原田選手の4年前のジャンプの失敗から今日の金メダルまでのストーリーが何度も流され、それを繰り返し見ながら、私自身が勇気が出てきたことを今日思い出した。

そして、経営者として勉強不足だった私が招いた会社の状態を分析を始めて、一つ一つ私の考えや会社を改善をしていくことが出来た。

当時は、途方もない作業でいつ終わるかわからない道のりだったが、勇気を与えてくれた男子スキージャンプ団体の金メダルのお陰様で今の弊社の基礎をつくることが出来たのだ。

今、会社の経営や自分自身の事で悩んでいる人がいらっしゃったら、必ず自分自身が変わる事で解決できるという事を信じて欲しい。

人のせいにする事なく自分自身が変わる勇気を持って行くこと。

そして、諦めないこと!

この平昌オリンピックの羽生選手の怪我からの復活の金メダルから勇気をもらって欲しい。

私がそうだったように。

神様は、超えられる試練しか与えない!と云う言葉を思いだして!乗り越えて欲しい。

















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