同じ時代に生まれても、生まれた国によって人生は変わってしまう。
私は、日本と云う国に生まれて本当に幸せだ。
日本の先輩たちが培ったこの日本の社会のお陰様で、本当に私たちは今有難い日々を過ごさせていただいている。
今日は、久しぶりにその事を強く考える日だった。
今日は、首都プノンペンにあるホテルを午前6時に出発をして、片道約3時間を掛けて、幼稚園・小学校・中学校の併設をしている場所と小学校・中学校の併設をしている学校を見学をさせていただいた。
一つ目の幼稚園・小学校・中学校の併設をしている学校では、小・中学校では、ちゃんとした校舎がすでに寄付により出来ていたが、幼稚園は簡易なビニールシートでつくられたものだった。
プノンペンは、私が初めて訪れた6年3ヵ月位前に比べれば、目まぐるしく都会に変わって来ているが、少し車を走らせれば、まだまだ貧しいところばかりだ。
最近では、カンボジア政府も小中学校の整備は、大分進んで来たのでSAJに対して出来れば、幼稚園の校舎の建設のお願いをしてきているとのことだった。
たまたま今日は、予定していた見学場所に行く為に乗る船が一杯だった為に、急遽変更をした場所が、幼稚園の校舎が無いところだったのだ。
『急遽、この場所に訪れたのも、神様のお導きかな~!日本に帰って、門倉社長や役員と相談してこの幼稚園の校舎のお手伝いを考えてみようかな~。』
と思ったのだ。
弊社では、島田紳助さんの『行列ができる相談所』の企画で100人の有名人の方が描いた絵をオークションで売ったお金でカンボジアに学校をつくる企画の中で、モンキーパンチさんのルパン三世の絵の落札。
そして、このSAJさんに対する寄付で2校の小学校の建設に携わってきた。
今度は、幼稚園の校舎の建設のお手伝いでも良いかなぁ~と感じた時間だったのだ。
その後、貧しい環境で生活をしている家族の元を訪れた。
私はカンボジアで何度も貧しい家族の家を訪問しているが、この時間が一番つらい。
その家族は、母33歳と幼い子供二人の母子家庭だった。
上記写真のように、周りには何もない。
電気・水道も通っていなければ、トイレもない。
トイレは、奥の方に見える森の中で済ませるそうだ。
下の子供は、まだ2歳に満たない子だったが、上のシャツは着ているが、下はパンツすら履いていなかった。
悲しい現実だ。
ご主人は、下の子供が8ヵ月の時に失踪してしまったそうだ。
私たちが朝早かった為に朝食として渡され、決して美味しものではないので残して車の中にあったパンやリンゴ、バナナ、ヨーグルトなどの残り物だけどこの親子に渡そうと云う事になり、お母さんに手渡した。
たぶん、今の日本人ならば一晩でもこの生活は出来ないと思う。
網戸がある訳でもなく、ドアはない。
電気も水道もない生活。
周りには、何もない。
想像すらできない筈だ。
でも、これが紛れもないカンボジアの現状だ。
ただ、この家族にもSAJが行っている支援事業でお米が一か月に10キロ届けられているのだ。
多分、このお米が無ければ、この家族は生きていけなかっただろうと思う。
私たちは、恵まれた日本に育ち、このような生活をしないでいられる事に感謝をすると同時に改めて、私たちに何が出来るか?何をすべきか?を考えさせられたのだ。
人間の命に肌の色や国境はない。
同じ人間で平等だ。
たまたま、私たちは日本に生まれさせて頂いただけの事。
改めて、そう思わずにいられない視察だった。