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悲しい連絡 NO2

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悲しい連絡に、落ち込んでいたが現実的にはどこかで信じられないでいた。

今日の午前中に、梅田常務、平沢取締役と3人で中山さんが自宅に戻っていたので会いに行った。

約1ヶ月ぶりの再会だ。

そこには、中山さんが笑顔で横たわっていた。

でも、問いかけても問いかけても返事を中山さんはしてくれなかった。

現実だった・・・・。

中山さんは、3年前の8月の終わりにあの『川島なお美』さんと同じ病気の胆管癌と診断された。

胆管癌と診断された時の5年後の生存率は、かなり低いものだった。

診断直後の中山さんは、会社の身辺整理をして生きる事を諦める言葉を私に言ったりもしたが、その度に私は、本気で怒って諦めちゃ絶対だめだと言い続けた。

身辺整理も絶対にさせなかった。

9月には、手術をしその後も静養をしたが、なんとか年末までには仕事にも復帰をした。

手術をし、会社に完全復帰するまでの数か月は、会社の仲間で朝と夜にお祈りをした。

会社の社員全員で中山さんの病気を必ず治す会と云うLineのグループをつくり、中山さんの患部の写真に向かって毎朝7時と毎晩10時にお祈りを1分間してその後にスタンプをすると云う事を続けた。

中山さんの頑張りと中山さんのご家族の愛情、そして会社の皆さんの中山さんへの思いが中山さんの完全復帰と云う嬉しい状況をつくってくれた。

定期的に行っている病院の経過も順調でがんの腫瘍マーカーも出ずに2年を経過をしようとしていた。

その間には、私達と一緒にバリ島の研修旅行にも参加し、スキューバーダイビングのライセンスも取得したり出来たほどだった。

しかし、昨年の8月の終わりに体調の変化を感じ、病院の診察を受けたところ、小さなガンがまた肝臓の中に見つかった。

今回は、手術が出来ないと云う診断の中で数回の入退院を繰り返しながら気丈にも仕事に通い続け、今年の8月22日に入院するまで働き続けてくれていた。

その間、診察の結果の悪さから弱音を吐く姿があったが、前回と同じように

『絶対に諦めないで!』

と怒ると、

『もっと、怒ってください!』

と何度もつぶやいていた。

本人も相当につらかったと思う。

私達も絶対に諦めないと、前回の時と同様に会社の社員でLineの

『中山さんの病気を必ず治す会』

と云う中山さん本人と娘さんを一緒にしたグループをつくり、毎朝7時と毎晩10時にお祈りをした後にスタンプを押し続けた。

そして、お二人を除いた

『奇跡を起こそうの会』

をつくり連絡をとりあった。

イメージ 1


8月の終わりから9月の初めには、

『まだ、試算表が出来ていない!』

と入院をしている病院を抜け出して仕事をしてくれた。

『無理しないで身体を休めて!』

と言っても言っても

『大丈夫です!』

と気丈に振る舞っていてくれていた。

しかし、私がいない時には更衣室で寝込んでいたと云う事だった。

その後、病院から出れなくなり、9月の終わりになるとLineの連絡も直接は取れなくなった。

そして、昨日を迎えてしまった。

中山さんとのことをたった1回のブログで書き終えることなんて出来ない。





今まで中山さん本当にありがとうございました。

中山さんを失ったことは、とても残念です。

本当に感謝をしています。

心より心よりご冥福をお祈り申し上げます。




中山さんの葬儀告別式は、

場所 南多摩斎場 東京都町田市上小山田町2147
             042-797-7641

日時 お通夜 10月14日(水)午後6時30分~7時30分
    告別式 10月15日(木)午前10時~11時

です。









58歳は早すぎるよ。
 

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