今日は、前にもこのブログでご紹介をした事がある総合格闘技 PANCRASE(パンクラス) http://www.pancrase.co.jp/ の酒井正和代表と二人で食事をした。
酒井代表は、昭和41年5月17日生まれの47歳だ。
学年で云うと私の2つ下になる。
酒井代表の生い立ちは、本当にドラマのようなお話しだ。
今日は、少しだがご本人の許可を取ってあるのでその壮絶な人生をお伝えさせていただきます。
まず生まれたところは何処だと思いますか?
正確には、生まれたところではないですが・・・・・・。
酒井代表は、生れて数日しか経っていないであろう赤ちゃんの時に、浅草にある『花やしき』のロッカーで泣いているところを発見されたのだそうだ。
そして、それはロッカーに入れられて2日目に発見されたと云うのだから衝撃だ。
そのロッカーの中に、
『酒井正和 昭和41年5月17日生まれ』
と云うメモが入っていたらしい。
その後、湘南にある施設に預けられ小学校の2年生までそこで過ごしたそうだ。
小学校3年の時に里親になって下さる方が現れ、葛飾で暮らしていたそうだ。
中学に入ると段々と生活が荒れてきて、悪い不良仲間たちと過ごす様になっていったそうだ。
里親の人には可愛がっていただいていたそうなのだが、その親戚などの目が気になり自分で生活をすると家を出たそうだ。
中学生で年齢を偽って吉野家のバイトを深夜してアパートを借り、そこから学校に行っていたと云う。
その後、更生施設の職業訓練校等で過ごしたそうだ。
その時に、8歳までいた施設の友達と再会をし、七五三の時の自分の写っている写真を見たそうだ。
その写真が唯一残っている幼少の時の写真だそうだ。
その後、ホンダの営業になり全国2位の販売実績を残し、その後損害保険の代理店で全国1位の成績を収めたそうだ。
30代の半ばで船井幸雄さん等と出会い、船井グループに出資をしてもらい1億円の資本金の経営コンサルタントの会社を設立し、途中社名の変更などを経て現在は、クォンタムジャンプジャパン株式会社と云う名前の代表者をしているのだ。
企業再生などが本業であるが、ある格闘技団体の再生をしたことからドンキホーテの社長からパンクラスの再生の為に代表を頼まれ、1年前から代表に就任をしてパンクラスの発展に力を注ぐようになったそうだ。
そんな酒井代表ががむしゃらに頑張る理由があるのだ。
それは、『酒井正和』と云う名前が有名になれば本当の親がその名前に気付いてくれるのではとの思いからなのだ。
それで本当の親に会えることが夢なのだ。
酒井代表は、私にこう言った。
『本当の親に「ありがとう」を伝えたいんですよ。五体満足に生んでくれてありがとうって。』
夢が叶う事を願っているのだ。