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独り言!

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独り言です。

私は、前から思っていることがある。

死刑の判決、死刑の執行のニュースの時に、必ず出る死刑廃止の意見。

死刑というのものについて、ヨーローッパの先進国を先頭に、人権問題として論争されている。

日本でも同じく論争がある。

人権の問題、野蛮、罪として妥当かだとか?のご意見や冤罪の場合の事を考えての死刑反対のご意見だ。

よく、

『ご遺族の気持ちを考えたら、死刑は当然だ!』

とか、

『ご遺族でも死刑を望んでいないご遺族もいる!』

等々。



私は

自分の家族が何も悪いことをしていないのに

殺された時に、(交通事故や不可抗力の場合は除く)

『罪を憎んで人を憎まず!』

との気持ちになれるか?甚だ自信がない。

宗教的には、そう思うようにしても心の底からそう感じれるか?は本当に自信がない。

もちろん、殺された家族にも殺される理由がある場合は別としてだが・・・。


ただ、家族が何も悪いことをしていないのに殺された際のケースの場合で上記の意見は、私の考え方も含めて、全て残された遺族を中心とした今現在生きている人の意見だ。

これを殺された本人は、果たしてそんな感情だろうか?

何も悪いことをしていないのに殺されてしまって、相手を果たして許せるだろうか?

『当然に殺したいと思っているんじゃないか?』

っていつも思うんだよね。

自分が悪いことをしていないのに、殺されて相手を許すという気持ちには、私は間違いなく思えないだろうと思うんだけど・・・。

その為には、怒られてしまうかもしれないんだけど、

『死刑は仕方ないんじゃないかな~』

って。


野蛮かな~。

私はもしかしたら、可能性は低いけど遺族としてなら許せる気持ちを持てる時もあるかもしれないけど私が殺された本人なら、無条件で死刑を望むと思ってしまうのだ。

これって、間違っているのかな~?

報道も、

『亡くなったご本人の気持ちやご遺族の気持ちを考えると~~~』

ならば、分かりやすいと思うんだけどな~。

そうなると、

『亡くなった人に気持ちがあるのか?』

みたいな論争が始まるんだろうな~。(悲)









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