昨日がお通夜、今日が葬儀告別式、段払い(精進落しの儀)と云うスケジュールで八王子商工会議所 名誉会頭である樫崎彰男氏のお別れのセレモニーが行われた。
樫崎大先輩は、八王子商工会議所副会頭、会頭の役職を16年に渡り担い、会頭を現在の田辺隆一郎会頭にバトンタッチをした事を期に名誉会頭となられていた。
2日間に亘って八王子の楢原斎場で行われたお別れの儀には、本当に沢山の方が故人を偲んで訪れていた。
葬儀委員長 八王子商工会議所 田辺隆一郎会頭
葬儀副委員長 八王子織物工業組合 清水利郎理事長
葬儀副委員長 石森孝志八王子市長
葬儀副委員長 萩生田光一衆議院議員
友人代表 波多野重雄元八王子市長
親戚代表 黒須隆一前八王子市長
と云う方々が葬儀を取り仕切っている事からもどんなに故人が八王子の為に尽力をされたかが分かる筈だ。
前にもこのブログでも書いたが、樫崎名誉会頭は、
『八王子が大好きなんだよ。』
と自他共に認める八王子を愛した方だ。
大正15年2月生まれの88歳。
お洒落で品が良くてとても御着物が似合う方だった。
私の親父が大正15年の5月生まれで正に同じ世代であったが、残念だがどうにも差がありすぎるくらい父に比べて樫崎名誉会頭は格好が良かった。
私が云うのもおこがましいが、八王子の代表としてどこに出してもカッコ良かった方なのだ。
今日の告別式の中で石森市長が弔辞を述べられたが、その際に中央線の『あずさ号』が通る時に樫崎さんや石森市長のお父様達が一生懸命運動をされたお蔭様で八王子駅に停まるようになったと伺った。
家に帰って調べてみると中央線にあずさ号が走り出したのは、昭和41年からだったそうなので、私が生まれた昭和39年頃から40年にかけて運動をされていた筈なのだ。
多分当時、樫崎名誉会頭は39歳位だったのだろう。
このように八王子を愛する先輩たちのお陰様で今の八王子がある。
大正天皇が御崩御された際に当時の八王子の先輩達の尽力で追分から高尾まで続くイチョウ並木が植えられた。
今や日光などと並ぶ日本の3大並木と云われているのだ。
今から約30年位前に八王子の先輩でご健在だが、追分郵便局長だった大野さん達がご尽力をされて11月に『いちょう祭り』が行われるようになったのだ。
私達も先輩たちがそうして下さったように、八王子の為に何かをして行かなければならないと改めてこの『あずさ』のお話を伺って思ったのだ。
私自身も事ある毎にお声をかけていただいた。
特に印象に残っているのは、前にもこのブログで書いたが、
『白柳君!あんたは、毎年社会福祉協議会に寄付をしているけど必ず良い事があるよ!』
とお声をかけられたが、その事が何よりの良い事だったのだ。
その他にも、樫崎名誉会頭をご自宅までお送りさせて頂く機会が数度あったが、毎回私が車のドアを開けて樫崎名誉会頭がご自宅までお入りになるまでその場に立ちお見送りをさせていただいた。
すると、ある時次にお会いした時に、
『いつも家に入るまで見送ってくれてありがとう。白柳君みたいに見送ってくれたのは、初めてだよ。』
とお声をかけてくださった。
私以外にも当然にそういうお見送りをされた事があるだろうに私を慮ってそのような声もかけて下さる優しい方だった。
段払いの席も200名近くのたくさんの方が出席をされた。
名誉会頭のお別れに最後まで出席をする機会をいただけた事は大変光栄な事だった。
樫崎名誉会頭本当にご指導をありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。